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黄土国は国名の由来にもなっている黄土色の強い木や土を使った建物がひしめき合う、活気溢れる壮大な都を中心とした大国である。
遥か遠くから見ても豪奢な造りだとわかる宮殿には国を統べる王の一族が住まい、それを護るかのように建つ家々には数百万という民たちがそれぞれの暮らしを営んでいた。
千年前の天眼の子出現の折には激しく衰退し滅亡寸前まで突き進んだ黄土国も今では落ち着きを取り戻し、近隣諸国の中でも豊かな国のひとつとなっている。
都の賑わいを近くに感じられる距離まで辿り着いた龍砂王改め月白と朱ノ夜は、馬上にあってその喧騒に圧倒されるようであった。
「これが黄土国…」
眼下に広がるのは市場だろうか、そこには噂に聞いていた悪国とは思えない民たちの生き生きとした暮らしぶりが二人の眼に眩しく映っていた。
「なんと賑やかな国なのだ」
月白はひしめき合う人々から放たれる人間のエネルギーのようなものを感じて、ほうっと息をついた。
「見るがよい、朱ノ夜。
民が皆あのように生き生きと暮らしている。
黄土国は悪しき大国だと噂を聞いていたが、ここは本当に黄土国で間違いはないか?」
「国名にもある黄土色で溢れる街並み、天の星の位置から見てもたしかにここは黄土国に間違いはございませぬ。
しかし噂とはあてにならないものにございますね。
民たちがあのように明るく楽しそうに暮らしている国が悪しき国であるはずはございませぬから」
朱ノ夜の言葉に月白はゆっくりと頷き、遠くを見やるその瞳には深い慈愛の色が浮かんでいた。
おそらく我が国のことを思い出しているに違いなく、朱ノ夜もまた眼下の喧騒の中に龍砂王の治世下で明るくのびのびと暮らす民を想うのであった。
日が暮れる前に今宵の宿をみつけるべく街へ向かう途中、樹々の陰に隠れるようにひっそりと口を開けた洞穴が姿を現した。
ゆっくりとその前に差し掛かった時、朱ノ夜は急激に肌が粟立つような感覚を全身に感じた。
洞穴の入り口付近にはごろごろと転がった人の拳ほどの石の礫が不自然に積まれ、それはいくつもの山を作って異様な光景に見えた。
洞穴の中には漆黒の闇が広がり、つい先程まで賑やかだった鳥たちの囀りも掻き消されたように無く、辺りは耳の奥が痛くなるような静寂に包まれている。
月白も異変を感じ取って嘶く馬を宥めながら用心深く辺りに視線を配っていた。
洞穴の前に馬を進めた朱ノ夜が中から鈍く放たれる異様な光を見た途端、
「あッ……!」
胸元の勾玉が熱を帯び始め慌てて取り出すと、眩い緑色の光が洞穴の中を貫いた。
その光に先導されるかのように暗闇から現れたのは、身体を銀色の光で包まれた男だった。
目元には射抜くような鋭く強い光がたゆたい、真っ白な衣からは大きな尾がゆらりと覗いている。
「懐かしや、夏虫か。
いや、彼の者であるはずもないな……」
地に響くような低い声は心なしか切なげな声色に聞こえ、勾玉はその声に呼応するようにさらに熱くなった。
「……夏虫の心を授けられし者か。
そなた名は何という」
男の声は朱ノ夜の耳にひどく優しく届くと同時にどこか空恐ろしいものにも感じられ、月白だけは守らねばと朱ノ夜は男の前に立ちはだかった。
「人に名を尋ねるのならばまずは自分から名乗られよ」
語気強く言い放つ朱ノ夜をみつめ息を飲んだ男は、フッと笑みをこぼした。
「井氷鹿」
「井氷鹿?」
「遥か昔よりこの地に住まう者。
夏虫よ、またそなたに出会えるとは思わなんだ」
井氷鹿はどこかうっとりとした表情でゆっくりと朱ノ夜に近づいてきた。
その歩みを遮るように朱ノ夜の凛とした声が静寂に響いた。
「私は夏虫ではない」
「名は?」
「朱ノ夜」
「朱ノ夜……。
美しい名だ。
夏虫の心を授けられし星読ノ巫女か」
「なぜそれを……⁈」
朱ノ夜は目を見開き井氷鹿を凝視した。
優しげな微笑みを浮かべたまま、井氷鹿は朱ノ夜の後ろの月白に鋭い視線を投げかけた。
その瞳には明らかな敵意が揺らめいて見える。
「麗しき王よ、そのような強い覇気を纏ったままではすぐに命を落とすことになりますぞ」
「そなた、なぜ国王陛下のことを⁈」
朱ノ夜のさらに見開かれた大きな瞳に、井氷鹿は喉の奥からクックッと面白そうな笑い声を立てた。
地響きのように低い笑い声が次第に大きくなると、井氷鹿の身体から放たれる銀色の光もまた強烈に薄闇を照らし出した。
……ヒュッ!
空気を切り裂くような乾いた音とともに朱ノ夜の頬を何かが掠め、渦高く積まれた石の山にぶつかった。
「石……?」
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ……!
「月白様!」
朱ノ夜は月白を半ば突き飛ばすように草むらの中へ押し込むと、石の礫が次々と飛んでくる方向へと走り出した。
「誰だ!
なぜこのようなことをする!」
朱ノ夜の怒声が辺りの空気をビリビリと引き裂くように響いた。
それでもなお激しく飛んでくる石の礫を避けながら、怒りが頂点に達した朱ノ夜は被っていた銀糸の頭巾をかなぐり捨てた。
「あッ!」
朱ノ夜の姿に明らかに動揺する者たちの声が暗闇の向こうから聞こえてきた。
「ば、化け物……ッ!」
ざわざわと吹く風に長い髪がうねり、左右それぞれの瞳が青と黄金色にも似た黄色の光を妖しく放ち始めるとさらに慄きの声が飛び交った。
「化け物!
また化け物だ!」
「なんと禍々しい!」
「恐ろしや、早ようここから去ね!」
再び飛んできた石の礫が井氷鹿の肩に当たると井氷鹿は唇の端を歪ませてにやりと笑い、握りしめた礫はその手の中で粉々に砕け散った。
ならず者たちはその笑みに恐れ慄いたのか慌てて崖を滑り降り、賑やかな喧騒の中へと紛れ込んで行った。
再び静寂が戻ると辺りはもう闇に包まれていた。
「月白様!」
朱ノ夜は月白の元へ駆け寄った。
「お怪我はございませぬか⁈」
「そなたがおるのだ、私に大事があるはずはない。
朱ノ夜、礼を言う」
それよりも、と月白は砕け散った礫のかけらを握りしめて佇む井氷鹿の後ろ姿をみつめた。
その背中からは恐ろしさなど微塵も感じられず、ただ果てのない悲しみと寂しさだけが伝わってくるようだった。
井氷鹿が住まいとしている洞穴の入り口に積まれた異様な石山の光景の理由がわかり、朱ノ夜も何とも言えない気持ちになった。
ーー瞳の色が左右で違うなんて、なんて薄気味悪い子。
ーーあの真っ白な肌も人ではないみたい。
ーー大巫女になんて選ばれないでよかった、あんな気持ちの悪い姿になんかなりたくないもの。
星読ノ宮に入る前の幼い自分に寄せられた声に傷ついた日々を思い出し、久しぶりに朱ノ夜の心がじくりと痛んだ。
突き刺さるような視線、繰り返される心ない密やかな声に、その場から逃げ出したくなるような薄ら寒さが背筋を幾度も伝わっていく。
異形の姿で超常力を持つ井氷鹿もまた、朱ノ夜と同じような声を浴び続けてきたに違いなく、この石の礫の山がそのことを顕著に物語っていた。
「井氷鹿、今宵はそなたの住まいに世話になる」
月白の唐突な申し出に朱ノ夜は慌てて首を振った。
「なりませぬ!
ここにおいでになっては危のうございます!
先ほどの輩がまた襲ってでもきたら……!」
「私の覇気は思うより強いらしい。
井氷鹿なら覇気を隠せる術を知っておるやもしれぬ、教えを請いたい」
「いえ、しかしそれは……!」
月白はなおも渋る朱ノ夜の薄っすらと血が滲んだ頬にそっと触れた。
「礫がかすめたか。
そなたの言葉に甘え身を隠していた己れが恥ずかしい。
ーーすまぬ」
月白の冷たい指先が優しくなぞると朱ノ夜の頬は急速に火照り出し、気恥ずかしさを悟られまいと慌てて俯いた。
井氷鹿は氷のように冷たい表情でその様子をじっとみつめていたが、
「王よ、お気の召すままに」
唇の端をヒュッと上げると粉々になった石の礫を石山に振りかけ、暗い穴の中へと姿を消した。
月白と朱ノ夜が連れ立って井氷鹿の後を追い暗闇に足を投じた瞬間、再び夏虫の勾玉が眩い緑の光を放ち始めた。
「見よ、夏虫も行けと申しておる」
月白の言葉に朱ノ夜は表情を固くしながらも、井氷鹿という異形の者が何者でなぜ黄土国の民から非道な仕打ちをされているのかを知りたかった。
そして千年前の大巫女夏虫との関係を知ることで天眼の子の行方の些細な手がかりを掴めるかもしれないと思い、意を決して一歩を踏み出した。
4話 完
3話からずいぶん間が空いてしまいました(*≧∀≦*)💦
昔から古事記に出てくる国津神・井氷鹿になぜか惹かれてしまうまーたる。
どうしても登場させたかった人物であります✨
この井氷鹿は実際謎の多い人物でありますが、この小説内でもこの先重要な役割を果たしていくことになりそうです。
朱ノ夜と井氷鹿が抱く心の痛みにも注目していただけたらと思います。
龍砂王改め月白と朱ノ夜の天眼の子を探す旅の本格的な始まり。
今後も楽しんでいただけたら嬉しいです❗️
最後まで読んでくださりありがとうございます
ヽ(*^ω^*)ノ❤️✨