まーたる文庫。

まーたるの小説・エッセイブログ🖋✨💕

『天眼の子』

 普段なら鼻息も荒く力強い馬の嗎が、今夜に限っては夜空に吸い込まれそうに頼りなく、密やかな緊迫感に包まれた王宮では天眼の子を探し出す出立の準備が着々と進んでいた。

 一度星読ノ宮に戻った朱ノ夜は、自分が旅立った後のことを留守を任せる巫女たちに細々申し伝えたあと、一人奥の御座所に籠った。

 あと半刻もすれば旅衣装に身を包んだ龍砂王が闇に紛れて訪れる手筈になっており、もうあまり時間がない。

 御座所のさらに奥には朱ノ夜の全身を写すほどの大きな鏡が設置されており、そこから放たれる光はあたかも仄暗い水底にたゆたうような鈍い光であった。

 歴代の大巫女たちが国と世界の安寧とを祈り続けてきた神鏡の前に座り、朱ノ夜はいつものように祈りを捧げた。

 そして意を決したように鏡台に施された小さな引き出しを開けると、中から古ぼけた木箱が現れた。

 ほんの少し黴びたような臭いがし、引き出しから漂う千年前の空気が鏡と朱ノ夜を取り囲むようにゆっくりと広がっていくのを感じた。

 木箱を前にして亡き端白女の言葉が蘇る。

 

「朱ノ夜。

大巫女となるそなたに申し伝えておくことがある」

 

 いつになく厳しい面持ちの端白女を前に朱ノ夜は表情を引き締めた。

 真っ白な髪に覆われて端白女の顔をはっきりと見ることはできないが、髪同様の真っ白な肌に異様に光る紅い瞳が真っ直ぐに自分に注がれているのを見て、朱ノ夜は思わず身体を硬直させた。

 端白女は皺だらけの指で鏡台の引き出しを指し、

 

「もし天眼の子が誕生する啓示をそなたが受けた時、この引き出しを開けよ」

 

「引き出しを?」

 

 星読ノ宮に代々伝わる大きな鏡は、天からの啓示をつぶさに受け取る力が備わっている神鏡である。

 鏡台には細かい装飾が施されており、神秘的な力とともに国を護る星読ノ宮の古く長い歴史を感じさせるものであった。

 小さな引き出しを指差す端白女の指がぶるぶると震えているのを見て、ただならぬ緊張感が朱ノ夜を襲った。

 千年前に世界を滅亡寸前まで追い詰めた天眼の子。

 神の如く超常力を持つがゆえに時の権力者たちに翻弄され、その身が愚王の手に渡ったことで命を断たれた天眼の子。

 考えてみれば哀れな存在と言ってもいいが、良くも悪くも世界中のすべてに影響を与えてしまう存在はあまりにも危険なものだ。

 世界が辛うじて滅亡を避けられてからじき千年になろうという今、端白女はいったい何を申し伝えるというのか。

 朱ノ夜は静まり返る部屋に自分の鼓動がひどく大きく響くような気がして思わず身構えた。

 

「そこに何があるというのですか?」

 

 恐る恐る尋ねてみると端白女はゆっくりと首を横に振った。

 

「わからぬ」

 

「わからぬ、と…?」

 

 朱ノ夜は拍子抜けしたようにポカンとして端白女をみつめた。

 

「私も先代の大巫女から同じことを伝えられた。

もしそなたの代に天眼の子が誕生したならばその引き出しを開けよ、そしてそなたの命尽きる時に天眼の星がまだ空にあったならば、このことを次なる大巫女にきっと申し伝えよと」

 

 風で灯りがじじじと音を立てて揺れ、端白女と朱ノ夜の影が大きく揺らめいた。

 

「幸いなことに天の眼の星は今も変わらず空に在り、神の啓示を示す曇りも鏡には現れておらぬ。

この先もずっとこのまま時が過ぎればよいと願うばかりだが、いつその時がくるかは誰にもわからない」  

 

 端白女は大きく息をつくと少し苦しそうに喘いだ。

 

「大巫女様!」

 

 慌てて身体を支えようとする朱ノ夜を制し、端白女はゆっくりと息を整える。

 このところ続く悪天候のせいか端白女の体調は思わしくなく、自らの命の終末を感じて今がその時とばかり朱ノ夜に伝えた端白女であった。

 

「天眼の子の誕生は世の喜びであり恐怖でもある。

常々申している通り、天眼の子はこの星読ノ宮の巫女が探し出さねばならぬ我が一族の使命じゃ。

もしそなたの代で天眼の子が現れたならばこの引き出しを開けて、代々継がれてきた大巫女たちの願いと祈りを胸に刻みこの国を出よ」

 

 その時が来ないことを祈るばかりじゃが、と少し顔を伏せながら呟いた端白女の哀しみに満ちた顔が浮かび上がる。

 朱ノ夜は一つ深呼吸して木箱の蓋をそっと開けた。

 艶やかな紫色の衣の上に真っ白な布に包まれた何かが置いてあり、その横には古びた紙が小さく折りたたまれてあった。

 開くと流れるような筆跡が千年の時を越えて朱ノ夜の眼に飛び込んできた。

 

『天眼の者に寄りし時、その珠に宿りし光増し、御身焼けつくほどに天空を貫くべしーー。

勾玉を手にする者よ、恐れるな。

我が魂は常にそなたとともにあらん。         

夏虫』

 

 

「勾玉…?」

 

 厳重に包まれた中から現れたものーー。

 それは美しい翡翠の勾玉の首飾りであった。

 千年前の星読ノ宮の大巫女が身につけていたものなのだろうか。

 千年前の物とはとても思えないほどの艶めきを放つ翡翠の首飾りは、手にするとずっしりとした重みとともに、天眼の子を探す旅に出た大巫女の覚悟のような想いが指先から伝わってくるようだった。

 

「夏虫…」

 

 滅びかけた世界を前にやがて時が流れ、再び天眼の子が現れる世界を見越した大巫女・夏虫が、天眼の子を探し出すという自分と同じ宿命を継がねばならない子孫に遺すべく、全身全霊で祈りを込めた首飾り。

 どうか千年後もこの世界があるように、安寧の地であるようにとの夏虫の切なる想いが心に沁み込んで、いつしか朱ノ夜の頬に一筋の涙が流れていた。

 朱ノ夜は首飾りを首に掛け、大切に胸元にしまう。

 勾玉のひやりとした感触が肌を伝い、いよいよこの時が来たのだと改めて思った。

 自分の治世下で天眼の子が再び目覚めることになるとはと言った龍砂王と同じく、朱ノ夜もまたその大事の時に自分が大巫女の立場にいることになるとはまったく思ってもみなかった。

 来たる時に備えて端白女から霊力を研ぎ澄ますための厳しい教えを受けてきたし、千年前の禍についても学んできた。

 たとえ生きている間に禍事が起こっても、巫女として鍛えてきた霊力と冷静な精神力があればどのような困難も乗り越えていけると思ってきたが、それでも心のどこかに天眼の子との縁が自分に結ばれないことを密かに祈る朱ノ夜でもあった。

 古い歴史書を読むにつけても千年前の大惨事は身震いするほど恐ろしかった。

 大小いくつもの国々が天眼の子を手に入れ我こそが世界の王たらんと、心を心と思わない裏切りと人を人と思わない所業を繰り返し、やがて世界は殺戮の色に染まっていったのだ。

 人の心から『信じ合い想い合う』ことが消え失せた色のない世界は、想像を絶するほどの悲しみで満ち満ちていることだろう。

 

ーーそれだけは避けなければ…。

 

 朱ノ夜は夏虫の想いが沁み込んだ紙を守り袋にしまい、首飾りとともに首にかけふうっと大きく息をついた。

 もうじき龍砂王が訪れる。

 

ーーどこへ向かえばよいものか。

 

 天眼の子を探すといっても世界は広いのだ。

 どこから探せばよいのかと正直途方に暮れてしまう。

 よしんば天眼の子を手に入れたとしてもその先の未来が不透明すぎて、不安ばかりが湧き上がってくるのを朱ノ夜は必死に抑えようとしていた。

 

ーーなぜ、私が大巫女になった途端に…。

 

 朱ノ夜は自分があまりにも酷い仕打ちを受けているような気がした。

 そしてそう思った途端、端白女の俯いた哀しみの表情の中に微かな安堵の色を見たことを思い出した。

 大巫女として国や国王、民たちを護ってきた間天眼の子は現れず、自分の命が短いことを悟った端白女は、千年前の悲劇を体験せずに死んでいける喜びに似た安堵感を隠せなかったのだろう。

 朱ノ夜は端白女を心底羨ましく思った。

 できることならば自分も一生をこの星読ノ宮の奥深くで、国や国王、民と世界の平和と幸せを祈り続けていたかった。

 

ーーなぜ、私が…!

 

 端白女に対して強い嫉妬のようなどす黒い感情かどうッと湧き上がってきたとき、

 

「あ、熱…ッ!」

 

 守り袋にしまった夏虫の文が、急に朱ノ夜の胸元を焦がさんばかりに熱くなった。

 

『恐れてはならぬ、勾玉を継ぐ巫女よ!』

 

 朱ノ夜の耳に凛とした女の声が間違いなく響き、声のした方には先ほどと打って変わって強烈な光を放つ神境があった。

鏡の奥から鋭い光が朱ノ夜をじっと力強く見据えているようであった。

 

『この役目は私だからこそ…。

そなただからこそ!」

 

 怖くて逃げ出してしまいたい気持ちの朱ノ夜は、夏虫の声に思いきり頬を張られたような気がした。

 

ーーそうだ、千年前、天眼の子を探し出すことは夏虫にしかできなかった、そして今、それは私にしかできないことなのだ。

 

 命の危険に晒されながら何処にいるかもわからない天眼の子を探す旅は、おそらく誰もが恐れる使命であり、その使命が自分に回ってきたことには意味があるのだと朱ノ夜は思った。

 

ーー私にしか出来得ないこと、私だから出来得ること…。

それならば、私は…!

 

 朱ノ夜は心の中に黒雲のように湧き上がってくる恐怖心を打ち消すかのように、熱を帯びた守り袋を両手で握りしめた。

 恐怖心に打ち勝とうと心を奮い立たせる朱ノ夜を叱咤激励するかのように、夏虫の文はどんどん熱くなってゆく。

 

「夏虫ノ大巫女よ」

 

 朱ノ夜は眩い光を放つ神境の前に平伏した。

 

「私はきっとこの大災難を乗り越えてゆけるのです。

私だから天眼の子を連れて再びここへ戻ってくることができる、そう信じます」

 

 天窓を開けて星読台へ出ると、生温い風がざわざわと吹き始めていた。

 何度見上げても夜空に天眼の星の姿はない。

 ぽっかりと空洞になったあの空間に、きっと天眼の星を再び戻してみせる。

 自らの使命を改めて心に深く刻んだ朱ノ夜の耳に、今この瞬間から運命を共にする龍砂王の乗った馬の嗎が静かに響くのであった。

 

 

              2話  完

 

 

 

 

『天眼の子』第2話です。

ご覧になってくださりありがとうございます✨💕

今回は降りかかる使命に懊悩する朱ノ夜の心の内を書いてみました。

人にはそれぞれ今生での使命があると思うまーたる。

朱ノ夜が背負った使命にどのように向き合ってゆくのか。

3話から本格的に始まる天眼の子を探す旅を書き始めていきます😊✨

よろしかったらご覧ください❗️😆❤️✨