1 天の眼が目覚める夜
その夜、一つの星が堕ちた。
千年もの間その場所でひときわ輝きを放ちながら瞬いていたその星の欠落は、数多の星々がひしめき合う美しい夜空を一瞬にして異質なものに変えてしまった。
星たちは天の主を失って動揺しているかのように、そのぽっかりと空いた暗闇の周りを小刻みな瞬きで必死に照らそうとしているかに見えた。
やがてその急激に様変わりした夜空を切り裂くように沓音が荒々しく地上に響き、それは次第に切羽詰まったように速くなっていった。
忙しい息づかいが荒々しい沓音とともに静まり返った宮殿の奥へ奥へと吸い込まれていく。
緋色の衣の上に纏った真っ白な薄衣が漆黒の闇に浮かび上がり、頭上に被った銀糸の衣が羽のように風にふわりと舞い上がると、厳重に閉ざされた門を守る屈強な番人たちの槍でその行手は遮られた。
「何者!
ここを国王陛下のおられる宮殿と知っての狼藉か!」
首元に突きつけられた槍を白く細い腕が握りしめたと同時に、被っていた銀糸の衣の隙間から光る眼が覗き、驚いた番人たちはヒイッと声を上げた。
「まさか、まさか!
ほ、星読ノ巫女様…!」
「御無礼を、な、何卒、何卒お許しください!」
先刻の威勢はどこへやら、番人たちはその屈強な身体をガタガタ震わせながら女の前に身体を投げ出した。
身体中を震わせて怯える男たちの様をみつめる女の瞳は暗闇に美しく浮かび上がり、その妖艶さがさらに男たちの恐怖心を煽っていた。
「一刻の猶予もならぬ事態ゆえに参った!
国王陛下に星読ノ巫女が至急御目通りを願っていると申し上げよ!」
静かだが空気を切り裂くような女の鋭い声音に番人たちは恐れ慄き、まるで雷に打たれたかのように這いつくばったまま動こうとしない。
そんな様子に焦れた女がさらに詰め寄ろうとした時、門の騒ぎを不審に思ったのか中から人影が現れた。
「この騒ぎは何事か!」
太り肉な女が重たそうな身体を揺すりながらやってくると、眼を吊り上げた険しい面持ちで番人たちに金切り声を投げかけた。
恐れ慄いて微動だにしない番人たちを不審に思いながら、ふと視線の先に佇む女を見つけると、吊り上がった眼は一瞬にして驚きの色に染まった。
「あなた様は、星読ノ宮の…。
いえ、まさか…」
女はごくりと唾を飲み込み、目の前に佇む小柄な女を食い入るようにみつめた。
頭からすっぽり被さっている銀糸の衣で、顔はおろか髪の毛の一筋も見ることはできない。
しかし衣の隙間から見える瞳の色は明らかに人のものとは思えない、美しくも恐ろしい光を帯びていた。
「あなた様はもしや星読ノ大巫女、朱ノ夜(あけのよ)様…?
朱ノ夜様ではいらっしゃいませぬか⁈」
朱ノ夜と呼ばれた女はホッと安堵の息をつき、
「淡藤」
「まさかこのような夜更けに、しかもお一人で星読ノ宮からお出ましになられるとは…。
使いを寄越していただければこちらからお伺いいたしますものを!」
淡藤という女は慌てて膝まづき深く首を垂れた。
星読ノ宮へは国王の書状を携えて訪れることがある淡藤だが、直に大巫女に会ったことも話したことも未だかつて一度もない。
大巫女の御座所は御簾の奥深くに設えてあり、大巫女がそこから出ることは稀であった。
ただ国王からの使者には応対するもののそれはやはり御簾越しで、会話のやり取りは傍に仕える巫女たちが一切を取り仕切って微かな声さえ聞くことはできない。
ーーこのお方が、大巫女様…?
星読ノ宮の大巫女は人の目に触れることがほとんどないために、年齢も体格も知らされることがないままに代替わりする。
そして星読の一族でも強力な霊力を持つ者が後継者である大巫女となるのだが、大巫女になる者には生まれつきその証が瞳の色に備わっているという。
淡藤が見た朱ノ夜の瞳も尋常ではない光を放っていたし、先代の大巫女・端白女(はじろめ)の瞳は真紅に光っていたと聞いたことがあった。
目の前に立つ女はまるで少女のように小柄で触れたら折れそうなほど細く、袖から覗く指先は雪のように白い。
凄まじい霊力で国を護る大巫女とは到底思えない淡藤であったが、朱ノ夜の瞳がいっそう厳しい光を放つと番人たち同様に身体が固まってしまうようであった。
「国王陛下に至急御目通りを願いたい」
凛とした声に淡藤はハッと我に返り、
「あの、このような夜更けにでございますか…?」
淡藤は少し狼狽えたように呟いた。
「国王陛下はすでに王妃様とともに奥宮にてご寝御あそばされました。
国王陛下への御目通りには然るべき順序というものがございます。
たとえ星読ノ巫女様といえど、かかる夜更けに唐突なお出ましにての御目通りは叶いませぬ」
国王付きの女官としての威厳を見せる淡藤を、朱ノ夜は鋭い視線で射抜き声を張り上げた。
「それを承知で私はここにいる!」
朱ノ夜の瞳がさらに光り辺りにザワザワとした風のうねりが起こり始めると、これは只事ではないと淡藤は息をのんだ。
蒼き龍の守護を受けるこの国の繁栄と安寧を、星読ノ宮の奥深くで日々ひたすらに祈る大巫女朱ノ夜が、真夜中に護衛も付けずただ一人王宮へと駆けてきたのだ。
「…わかりました。
私が奥宮へお伝えしてまいります。
ーー誰か!
朱ノ夜様を南の間へお通しいたせ!」
灯りの灯った宮殿南の間は昼のように明るく、侍女たちが運んできた手巾で汗ばんだ身体を清め白湯を口にすると、少しだけ緊張が解れたように朱ノ夜は小さく息をついた。
これから国王陛下と王妃がお出ましになられるのだろう、慌ただしく動き回る侍女たちをみつめる朱ノ夜の瞳もまた一段と厳しい光を帯びている。
淡藤が言ったようにこのような真夜中に、すでに寝御しておられる国王陛下を叩き起こすなど正気の沙汰ではなく決して許されるものではない。
しかし朱ノ夜は今宵受け取ったのだ。
星に現れた天の声をたしかに受け取ったのだ。
そしてそれは一刻も早く国王陛下に伝えなければならない、とてつもなく重大なことだった。
ーー間違いない…。
朱ノ夜は唇を噛み締めながら銀糸の衣の隙間から入口を凝視する。
ーー千年だ…。
人が近づいてくる気配がして慌ただしい沓音が辺りに響く。
ーー千年の時を越えて現れる…!
「朱ノ夜」
低く威厳ある声が静かに響くと、朱ノ夜は恭しく頭を垂れた。
「顔を上げよ」
言われるまま顔をあげるといつもの温和な表情が一切消えた、険しい面持ちの国王龍砂王が仁王立ちで朱ノ夜を見下ろしていた。
その横では王妃が心配そうに朱ノ夜をみつめている。
淡藤からの報告を受けた国王夫妻はいったい何事か、まさか天から禍事のお告げが降ったのではあるまいかと、逸る気持ちを抑えながらこの南の間にやってきたのだった。
「朱ノ夜。
星読ノ宮から出ることの稀なそなたが、このような夜更けに一人でここに参るは尋常ならざること」
緊張しているのだろうか、頬を紅潮させた龍砂王の声がいつもより上擦り掠れている。
そんな龍砂王の顔を食い入るようにみつめていた朱ノ夜は、しばらくの間があって静かに口を開いた。
「国王陛下に申し上げます。
天眼を持つ者がこの世に誕生いたします」
「天眼…?」
龍砂王はポカンとした表情で朱ノ夜をみつめた。
「天眼の子が眼を覚ますのでございます…!」
「まさか!」
龍砂王は小さく叫んだ。
「まさか、まさか!
天眼の子だと…!?」
龍砂王はさらに頬を紅潮させ、歓喜と恐れが入り混じったような表情で身体をわなわなと震わせ始めた。
「朱ノ夜!
それは、それは真実なのですか…!?」
王妃もまた頬を紅潮させ声を震わせている。
「この千年もの間決して動くことなく在り続けた天眼の星が今宵、堕ちました。
この世界のどこかに天眼を持つ者が生まれてくることに間違いはございませぬ」
「なんと…。
天眼を持つ者が生まれるとは…」
龍砂王は呟いてからハッとしたように、
「朱ノ夜、これは他国の者どもも知り得ておるか!」
「他国にも星を読む者が必ず王の傍に仕えております。
おそらくどの国にもすでに知れ渡っていることでしょう」
天眼。
その瞳でみつめた者を意のままに操り、その口から出た言葉は現実になるという最強の超常力であり、その力を持つ者はまるで神のごとく力で世界に君臨すると言われている。
古い歴史書の中にはおよそ千年前に天眼を持つ者が現れたという記録が残っており、不思議な力を持つ稀なる存在であることが書かれてあった。
天眼の超常力は良くも悪くも周りへの影響力が凄まじく、天眼の子を手に入れた者は世界の王として君臨するといっても過言ではない。
もし天眼の子を手に入れた国の王が賢者であるならば、国同士の争いはなくなり、それぞれの国は繁栄し安寧の世が訪れるが、愚者であったならば裏切りと争いの蔓延る混沌とした世界となる。
千年前に現れた天眼の子はあろうことか愚王の手に落ちてしまったため、当時の権力者は天眼の能力を悪用し世界を争いの渦に巻き込み大混乱に陥れたという。
世界滅亡を危ぶんだ善の国の騎士たちによって天眼の子は愚王とともに命を絶たれ、世界は寸前で滅亡の危機を脱したのだと歴史書に記されてあった。
『千年前の大惨事を再び繰り返してはならぬ』
蒼き龍が守護するこの小さな国にも先人たちからの強い教訓として今に伝わっており、代々の国王はそのことを肝に銘じて国を統治していた。
龍砂王もまた然りで、代々の王たちからの教えを忠実に守り善政を施しているため、小国であっても国は豊かに栄え民たちの国王と王家への敬愛と忠誠心はそれは深いものであった。
世界にとって良くも悪くも強い影響を及ぼす天眼の子の誕生を、あれから千年もの間世界中が戦々恐々としながら固唾を飲んで様子を伺っていた今、ついにその時が訪れたことが告げられたのだった。
「朱ノ夜…」
なんとか威厳を保とうとする龍砂王だが動揺を隠せず、絞り出したその声はひどく掠れている。
「まさか私の治世下で天眼の子にお目にかかることになるは思わなかったぞ…」
ふふふと地の底から響くような低い笑い声に、王妃はギョッとして龍砂王をみつめた。
「国王陛下に申し上げます。
天の眼の星は堕ちたといえど、まだこの世に誕生しているとは限りませぬ。
まずは他国からの侵入を防ぐために国境警備の強化をお命じくださいませ。
そしてすぐに国中の妊婦をひと所にお集めになり、その身の安全をお計らいください」
「妊婦をひと所へ集めよと?」
「天眼の子がもし我が国に誕生するならば、他国は我が国に侵入し天眼の子を奪おうとするでしょう。
それは我々とて同じこと、他国に誕生するならば奪いに行かねばなりませぬ。
直ちに天眼の子を探しに行かねば取り返しのつかないことになりかねませぬ。
もし天眼の子が善の国の手に入らねば、世界は間違いなく千年前と同じ道を辿り禍の世になってしまうことでしょう」
朱ノ夜の言葉を一つ一つ聞き入っていた龍砂王は勢いよく立ち上がると、
「蒼珠!」
龍砂王が叫ぶや否や間を置くことなく扉が開かれ、漆黒の長い髪を靡かせて長身の男が現れた。
「国王陛下、蒼珠はここに」
低い声が響き朱ノ夜は少し身構える。
国王を護衛するために国中から選りすぐられた凄腕の剣士たちによって結成された精鋭部隊。
その中でも騎士団長の蒼珠は他国にも名が知れ渡るほど剣の腕が高く、血気盛んな剣士たちを『蒼き鋼の流星群』と称される精鋭部隊にまとめ上げる若き剣士である。
龍砂王に幼少期より仕え、王への忠誠心は誰よりも深く強い。
王のためならどのようなことにも非情になれる蒼珠は、『凍える月』との異名で恐れられていた。
「蒼珠、今の朱ノ夜の話は聞いたな?」
龍砂王の言葉に蒼珠は頭を垂れ、次いで朱ノ夜に向き合うと、
「天眼の子が目覚めると…。
星読ノ大巫女、その言葉に相違あるまいな」
「星読ノ大巫女の名において、相違ない」
蒼珠の切長の瞳から注がれる射抜くような眼差しに、怯むことなく朱ノ夜が言い放ったと同時に、龍砂王の声が静寂を突き破るように轟いた。
「誰か宰相を呼べ!
国中の妊婦をこの錦都に集めるのだ!」
「国王陛下、それならばこの蒼珠に御下命ください!
すぐにでも手配いたします!」
「いや、蒼珠、そなたには話がある。
朱ノ夜とともに奥へ参るがよい」
龍砂王があたふたとやって来た宰相に細々と言いつけている間、王妃がこちらへ来なさいというように二人に目配せをした。
王宮の奥は奥宮と呼ばれ、ここにはごく近しい側近と侍女の他は何人たりとも近づくことの許されない、龍砂王と王妃の完全なるプライベートな空間であった。
奥へ進むにつれ辺りは深い蒼に染まり、耳が痛くなるほどの静寂に包まれてゆく。
重厚な扉が次々と開かれ立ち止まることなく進み、薄い帳の向こうにある扉を今度は王妃自らが開き中へ入ると、王妃は婉然と微笑みながら振り返った。
「さぁ、こちらへ」
「は…申し訳ございませぬ」
普段冷静沈着で剛気な蒼珠も、さすがに龍砂王と王妃が二人で過ごす特別な部屋に通され、額に汗をしとどに浮かべながら恐縮しきりであった。
一方の朱ノ夜は銀糸の衣の下でも顔色一つ変えることはなかったが、さすがに王妃の勧める椅子に座ることはせず、扉の傍に座り龍砂王が来るのを待った。
「朱ノ夜、そのようなところでなくこちらにおいでなさい」
「このような尊き場所に私たちが足を踏み入れること自体、恐れ多いことにございます。
こちらで国王陛下のお出ましをお待ち申し上げます」
朱ノ夜の言葉に王妃は少し苦笑いを浮かべながら、
「朱ノ夜、そなたは我が国の至宝とも言うべき星読ノ宮の大巫女。
そなたが日々国王陛下をお護りし、国と民の繁栄と安寧を祈っているのですから、そのように遠慮せずともよいのですよ」
「星読ノ巫女は星読ノ宮の奥にて星を読み、天からの啓示を受けることが使命。
国王陛下及び王妃様、民を護り国の繁栄と安寧をひたすらに祈る身、表に出ることは決して許されておりませぬ。
事は重大とはいえこれ以上身分を弁えない行いをすれば、私は亡き端白女様からひどく叱られてしまうでしょう」
「端白女は優れた巫女でありました。
身罷ってしまった時はまるで太陽が割れてしまったかのように、国中が暗い悲しみの内に沈んでしまいましたね。
でも端白女はそなたという優れた巫女を私たちに遺してくれました。
でも見たところそなたはまだ若いと見えるが、星読ノ大巫女がそのように若者であるとは思いもよらなんだ」
王妃は微かに微笑み、じっと朱ノ夜をみつめた。
「それにしても…」
ふいに王妃の美しい微笑みが歪み口元から深い息が零れ落ちる。
「天眼の子が我が国王陛下の御代に誕生するとは、何という巡り合わせなのでしょう」
天眼の子を巡って世界が滅びかけたあの千年前の恐ろしい出来事を思ってか、王妃は再び身体を震わせて呟いた。
千年前を生き残った先人たちが再び同じような惨事が起こらぬよう、後世に伝え遺すべく記した歴史書は星読ノ宮の奥深くに納められている。
その脅威をひしひしと感じながら星読ノ宮の巫女たちは粛々と天の星を読み、国の安寧と世界の平和を祈り続けてきた。
朱ノ夜もまたその内の一人であり、これからも祈りの日々が続いていくものだと思っていたのだ。
師であり母とも慕う大巫女・端白女が身罷った時、か細くなりゆく息の下でただ一つの気がかりはやはり天眼の子の存在であった。
すべてのことを怠らず星読ノ巫女としての勤めを最期まで果たすように言いながら、歴代の大巫女でも最強とまで言われた強い霊力を秘めた紅い瞳から、ひと筋溢れ落ちた涙を朱ノ夜は一日たりとも忘れたことはない。
最期に流した端白女の涙には国を、国王陛下や民たちを想う慈愛が込められており、今際の際に力強く握られた際に右手の甲に残った端白女の爪痕を見ては、自分に引き継がれた使命の重さを改めて思い知る朱ノ夜であった。
やがて沈黙を突き破るような荒々しい沓音が響き渡り龍砂王が現れると、朱ノ夜と蒼珠は恭しく頭を垂れた。
「堅苦しい挨拶など今は無用、そのような端にいては話もできぬ。
もっと近くに寄るがよい」
金糸の衣を脱ぎ捨て長椅子にどっかと身体を預けた龍砂王は、王妃に冷たい水を持ってこさせると一気にそれを飲み干した。
臣下たちに今後のことを事細かく指示してきた昂りもあるのだろう、しばらくの間眉根を寄せギュッと眼を閉じていた。
物音一つしない静寂がどれほど続いたか、やがて龍砂王はゆっくりと口を開いた。
「天眼の子を探す旅に出ねばならぬ」
龍砂王の言葉に三人の身体が強張った。
「国王陛下の仰せの通り、誰かが天眼の子を探す旅に出なければなりませぬ。
それも、今すぐに」
朱ノ夜は静かに言い、龍砂王を真っ直ぐにみつめた。
「その御役目は私がお引き受けいたします」
「朱ノ夜!
そなたがおらねば誰が天の星を読み、国王陛下をお護りし、国や民を安寧に導くというのですか!
天眼の子を探すのは他国とて同じこと、もし攻め入ってこられたらこの国はどうなるのです!」
王妃は青ざめて朱ノ夜の腕にしがみついた。
「王妃様、千年前の禍事を繰り返さないためにも、天眼の子は国王陛下が、この蒼き龍に護られた善の国である我が国が必ず手に入れなければなりませぬ。
天眼の子のことは亡き端白女様から星読ノ大巫女として私が託された一大事でございます。
星読ノ宮には力ある巫女たちが数多控えておりますゆえ、何もご心配には及びませぬ」
「国王陛下」
王妃と朱ノ夜の会話をじっと聞いていた蒼珠が龍砂王の足元ににじり寄った。
「朱ノ夜とともに私もお遣わしください。
天眼の子を必ずや国王陛下の御前に連れてまいります!」
「蒼珠!何ということを!」
王妃はさらに驚愕の悲鳴を上げた。
国を護る大巫女ばかりか最強とまで謳われた騎士団の長までがいなくなって、この国はいったいどうなってしまうのか。
ただでさえ他国の脅威に晒されている小国なのだ。
「天眼の子は私が探しにゆく」
龍砂王の静かな声に三人の思考がぴたりと止まった。
「まあっ!
何を、何を仰せられます!」
王妃のつんざくような悲鳴が部屋に響き、龍砂王の足元に縋りついた。
「朱ノ夜とともに私が参る」
「国王陛下の御身に禍が及んではいかがなさいます!
たとえ世界の一大事とはいえ、あなた様は国にとって何よりも大切な御方なのですよ!
国王陛下が国を出られることは決してなりませぬ!」
龍砂王は頬を紅潮させ捲し立てる王妃の肩にそっと手を置いた。
「この国の行く末と千年後の未来があるかどうかは我らにかかっているのだ。
再び巡ってきた世界の一大事だと申すのに、王宮深くで護られている私ではない!
最強の霊力を持つ大巫女が一緒なのだ、何も案ずることはない」
龍砂王は優しく王妃に微笑むと蒼珠を振り返り、
「私が旅に出ている間はそなたが私の影武者となるのだ。
ーーほら」
龍砂王は蒼珠の長い髪を束ねていた紐をちぎり、金糸の衣をふわりと肩にかけた。
「同じような背格好をしているからかもしれぬが、こうしてみると私とそなたはよく似ているな」
さすがに戸惑いを隠せずに狼狽える蒼珠を面白そうにみつめながら龍砂王は小さく笑った。
「蒼珠、私の命令に逆らうことは許さぬ。
私と朱ノ夜が天眼の子を連れ戻るまで、この国と民を守るのだ。
よいな」
幼少期より片時も離れず仕えてきた龍砂王の命令は蒼珠にとって絶対であり、たとえそれが意に反していたとしても忠実に従うのが役目であった。
天眼の子を探す旅が危険なものであることは火を見るより明らかだ。
供に行くのが凄まじい霊力を備えているとはいえいかにも弱々しい大巫女とあれば、いかに龍砂王が自分にも負けず劣らずの剣の腕前を持っていても、心は不安で千々に乱れても仕方のないことであった。
王妃と蒼珠の心配をよそに早々に旅支度を始める龍砂王を、王妃はなんとかして食い止めようと必死に考えを巡らせていた。
龍砂王の妃になって五年、特別仲睦まじいわけではないがお互いに愛情を持って過ごしてきた。
なかなか子宝に恵まれない自分を焦らないようにと慰めてくれる心優しい王であった。
天眼の子さえ生まれなければ、それなりに心穏やかな日々が変わらず続いていくはずだった。
王妃は天眼の子が心底恨めしく、そして危険な旅とはいえ龍砂王と行動を共にする朱ノ夜にも複雑な思いを抱き始めていた。
星読ノ大巫女は年老いた老女とばかり思っていたのが、思う以上に年若い女であることに複雑な感情が溢れてきてしまう。
銀糸の衣にすっぽり覆われてどのような容姿かさっぱりわからないのも、王妃の心を静かに乱す原因の一つでもあった。
ーー国王陛下…。
慌ただしく準備する中にもどこか歓喜の表情が見え隠れしているような龍砂王の横顔を、王妃はぼんやりとみつめていた。
ーー国王陛下、あなたの横にいるのはどんな時もこの私のはず…。
王妃は寝台の傍にある鳥籠にそっと近づいた。
細かい細工の施されている金の鳥籠の中には、真っ白な羽が美しい大きな鸚鵡が首を傾げている。
ーー大巫女になる者は代々、たしか異形の姿をしているのだったかしら…。
鸚鵡がつぶらな瞳で王妃をみつめ首を左右に振り始めた。
ーー朱ノ夜もまた恐ろしく醜い姿なのかもしれない。
その姿を見たら国王陛下も考えを改めてくださるかもしれぬ。
王妃は頭に霧がかかったようにぼんやりと痺れたまま、そっと鸚鵡に囁いた。
「あの銀糸の衣を引きずり落としておしまい…」
鳥籠の小さな扉がそっと開かれると王妃の言葉を理解したのだろうか、銀糸の衣めがけて鸚鵡が勢いよく飛び出して行った。
「鸚鵡…⁉︎」
羽を大きくばたつかせながら突然飛び込んできた鸚鵡に、朱ノ夜たちは思わず声を上げた。
「クワァァァ!」
鸚鵡の足が朱ノ夜の銀糸の衣を器用に掴み思いきり上へと飛び上がる。
「あッ!」
朱ノ夜の悲鳴にも似た声が響き渡りその姿が露わになった時ーー。
薄い栗色に光る長い髪が真っ白な肌に映えた美しい少女の姿がそこにあった。
そしてそれ以上に驚かされたのは、左右の瞳がそれぞれ違う色に輝いていたことだった。
「瞳が…」
右の瞳は澄んだ青であるのに、左の瞳は黄金色に似た薄い黄色の光を帯びている。
見たことのない異形の姿に誰もが息をのみ、朱ノ夜から眼が離せなくなっていた。
ーーこれが星読ノ宮の大巫女…!
蒼珠はこれまで国を護ってきた歴代の大巫女たちの凄まじく強い霊力もさもありなんと、朱ノ夜の瞳をみつめながら思った。
龍砂王を見ると同じように息をのみ、食い入るように朱ノ夜をみつめている。
その頬は紅潮し、心なしか唇が震えているようにも見えた。
王妃は鳥籠の傍に立ち尽くし、以前には見られなかった射抜くような視線を朱ノ夜に投げかけていた。
「クエェ!ギンシノ…ヒキズリ…!」
鸚鵡は久しぶりに得た自由を楽しむかのように飛び回り、静まり返った部屋の中に嬉々とした声を何度も響かせるのだった。
1 完
以前少し書いていて途中で挫折してしまっていた作品に、改めて再チャレンジすることにしました❗️
初めてと言っていい、和風ファンタジー色の強い小説になります(*≧∀≦*)
大好きな米津玄師さんから挑戦することの素晴らしさ、いくつになっても挑戦していいのだということを改めて教えていただいて、よし❗️もう一度チャレンジしてみようと思ったまーたるです
(●´ω`●)
ショートストーリーではなく中編〜長編小説になります。
頑張って書いていきますので、時間がありましたらぜひ読んでいただけると嬉しいです❗️
ヽ(*^ω^*)ノ❤️✨
最後まで読んでくださりありがとうございます
(*´꒳`*)