まーたる文庫。

まーたるの小説・エッセイブログ🖋✨💕

『いじわるなマリア』

 私の腕の中で彼は眠る。

 カーテンの隙間から差し込む月明かりが冴え冴えとその無防備な寝顔を照らす。

 眩しいだろうとそっとカーテンに伸ばした私の腕は、しかし逃がさないと言わんばかりの力強さで押さえられていた。

 仕方なく彼の眠りが妨げられないように少し身体をずらして月明かりを遮ると、彼は幼子のような無邪気な寝息をたてて安心したように再び深い眠りへと落ちてゆく。

 さほど大きくもないベッドは、背の高い彼と二人横になればいっぺんにぎゅうぎゅうになってしまう。

 もう少し大きいベッドならゆっくり眠れるから買い換えようかと提案してみたけれど、口の端をひゅっと上げるいつもの笑みを浮かべながらやんわりと断られた。

 

ーーそれじゃあ、あなたの腕の中で眠る口実がなくなってしまうでしょう?

 

 いつからだろう。

 こうして私が彼を抱きしめて眠るようになったのは。

 どんな経緯で出会ったのか思い出せないほど自然の成り行きで今に至る、としか言いようがない。

 毎日忙しくてそれこそ休みもまともに取れないほどの彼が、一回りも歳上のしかも未亡人の私とこうして夜を共に過ごすことは冷静に考えても解せないことに思う。

 私自身、なぜ彼がやってくるのかさっぱりわからないのだ。

 月に一度だけふらりとやってきては私の腕の中で深い眠りを貪って帰ってゆく。

 肉体関係もなく、ただ抱きしめられて私の腕の中で幼子の寝顔を見せる彼は、一体何を思ってここへやってくるのだろう。

 そう思うと同時に私こそ一体どういう気持ちで彼をにこやかに迎え、そして一夜をともに過ごしているのだろうと不思議に思う。

 チェストの上に置かれている小さな写真立ての中で静かに微笑む夫がこんな景色を見たら、きっと彼はただでは済まされないくらいに殴られるのかもしれない。

 自他ともに認める愛妻家だった夫。

 少々度が過ぎる時もあったが今となればそれもいい思い出だ。

 とにかく今、この瞬間腕の中にいるのは夫ではない。

 月に一度の逢瀬しかできない、眠り姫ならぬ眠り君だ。

 胸の辺りに頬を埋め静かに寝息を立てる彼の顔をまじまじとみつめてみる。

 室内に滲み広がる月明かりの青が彼の寝顔を美しく照らし出すと、私は思わず感嘆の息を吐く。

 

ーー美しい人…。

 

 美しい人。

 その表現がこれほど似合う人に私は会ったことがない。

 まるで神話に出てくる神々のような端正な顔立ちで、その切長の瞳にみつめられると年甲斐もなく胸を高鳴らせてしまう。

 そんな私を知ってか知らずか、はたまた面白がっているのか、彼は部屋にやってくるといつも唇が触れるほどに顔を寄せてくる。

 

ーーやっと会えた…。会いたかった…。

 

 それは歳上の未亡人を弄ぶでもない、心から吐き出す彼の真実の言葉なのだと感じ、私は彼からの抱擁を受ける。

 少し身じろぎをしただけで彼の腕が私の身体に絡みつく。

 

ーーどうしてだかわからないけど、あなたのそばだと眠れるんだ。

 

 心底わからないといった表情で彼は言う。

 

ーーすごく安心して、この上なく気持ちよく目覚めることができるんだ。

 

 耳に心地良く響く彼の低い声をリフレインさせながら、額にかかる前髪をそっとかき上げた。

 誰をも魅了してやまない瞳はぴったりと閉じられて、安らかな寝息とともに時折ぴくりと動く目蓋にそっと触れてみる。

 

ーーそんなの、お付き合いしている人にしてもらえばいいでしょう?

愛している人のそばの方がもっとよく眠れるわ。

 

 非難でも何でもない、ただ純粋にそう思う疑問を口にすると、彼は少しだけ憮然とした表情を浮かべる。

 

ーー常識的に考えるとそうかもしれないけれど。

 

 拗ねた子どものように口を尖らす彼の横顔は、普段のクールな佇まいからは到底考えられないくらい幼く見える。

 そんな素の彼を知ることができるのはほんの一握りにすぎず、おそらく自分はその数少ないうちの一人であろうことに、私は心の奥からじわじわと込み上がってくる優越感を感じた。

 誰もが魅了されてやまない男の寝顔を間近で、さらに言えば腕の中で見下ろすことができるのは私しかいないと思った。

 

ーー恋人の腕の中が一番よ。

 

 微笑む私をじっとみつめて彼はゆっくりと息を吐いた。

 

ーーいじわるなことを言うね。

 

ーーいじわる?

 

 私の問いには答えずに、彼は徐に私の身体を引き寄せてベッドへ誘う。

 

ーーもういいから、早く眠りたい…。

 

 彼はいつものように私の胸に頬を寄せて瞳を閉じる。

 

ーーマリア様に抱かれてるみたいだ。

 

ーーマリア様?

 

 薄い青の闇に彼の顔がゆっくりと浮かび上がり、私は思わず声をあげそうになった。

 

ーー聖母マリアだよ。

 

 閉じられているとばかり思っていた彼の瞳は真っ直ぐに私を射抜いていて、その瞳に映る光の鋭さに思わず怯んでしまった。

 

ーーすべてを赦して包み込んでくれる、聖母マリア…。

 

 そう言って彼はゆっくりと瞳を閉じて、やがて安らかな寝息が私の耳に届いてきた。

 眼光鋭い彼の視線にぶつかると年甲斐もなくたじろいでしまう。

 ひと回りも歳上だという大人の余裕など、あっという間に吹き散らかされてしまうのだ。

 

ーーすべてを赦してくれる聖母マリア…。

 

 肉体関係を持たない月に一度だけの逢瀬。

 母でもない恋人でもない友人でもない、どのカテゴリーにも属していない説明不可能な関係。

 ただ腕の中で眠らせてほしい。

 彼曰く「究極の我儘」を無条件に許してくれる存在が、私。

 彼の無邪気な寝顔をみつめながら私はゆったりと笑った。

 

ーーいじわるはどっちかしら。

 

 彼の口元にたゆたう笑みはもうすでにわかっているはずなのだ。

 胸に頬を埋めるたびに伝わっているだろう私の鼓動を。

 どんなに努めて冷静な表情を取り繕っても、心は正直に伝わってしまう。

 早鐘のように高鳴る鼓動はすでに彼を受け入れ、彼の我儘すべてを赦している証なのだ。

 彼はそれをとっくに見抜いているにも関わらず、私をいじわるだと言う。

 私を聖母マリアのようだと言うけれど、彼の寝顔こそ聖母マリアのように慈悲深く、優しい光を湛えているように穏やかだ。

 

ーーいじわるはお互いさま。

 

 私は彼のやわらかな髪の毛を掻き上げてそっと額にキスをした。

 いつ私のマリアとしての役目が終わるのかはわからない。

 明日かもしれないし、十年後もこうして彼を腕の中に抱いているのかもしれない。

 でもなぜか確信めいて思う。

 この先お互いにそれぞれ愛する人ができたとしても、やっぱりこうして一晩を共に過ごしているだろうと。

 側からみたらきっとおかしな関係だが、私たちにはこれが自然な形なのだ。

 静かな部屋にカチコチと規則正しい時計の音が浸透してゆく。

 いつものように夜が明ける前に彼は起き出して、眠たそうな目を擦りながら玄関先で私を抱きしめるだろう。

 

ーーまた会いましょう。

 

 ひゅっと唇にいじわるな笑みを浮かべて。

 そんな関係も悪くない。

 腕の中の彼の無邪気な寝顔が仄暗い青の闇に鮮やかに浮かび上がり、いつものように飽きることなく眺めている私を、今夜も月の光が優しく照らしている。

 

                   完

 

 

 

不思議な二人を書いてみたくなりました。

 

大好きな米津玄師さんの音楽を聴いていると、私の中でたくさんの物語の種が芽吹き始めます。

 

想像の世界を果てなく広げてくれる米津さんの音楽に出会えたことに心から感謝でいっぱいです。

ありがとうございます✨

 

楽しんでいただけたら嬉しいです(●´ω`●)❤️

 

最後まで読んでくださりありがとうございます✨💕